2010年11月30日、ベトナム人看護師56名の苦労が報われた日

1990年の入管法改正で医療従事者に在留資格(ビザ)が新設され、高度人材として働くことができるようになりました。しかし医師は6年間、他の職種は4年間という期間制限が付いたものでした。その後2006年3月に医師には制限がなくなり、看護師は7年に延長、他は従来通りのまま。「日本語の壁は越えたのに・・・」と報道されたり、田原総一郎氏が自身のTV番組で「高度人材を使い捨てるのか」と訴えたり、世間的には矛盾を指摘する声が大きくありました。
そして待ちに待った看護師の就労期間撤廃の日、私はちょうどベトナムの医療省にいました。1994年からベトナム人看護師養成を共にやってきたソンさんやスタッフたちにこのニュースを伝えると、一瞬驚き、間もなく笑顔に。やっと自由になったね、と朗報に喜び合いました。
私はさっそくアメリカに行ったフエンさんに伝えると、即返信メールが届き「期限がなくなって、ほんとうによかったです」と。彼女は日本の看護が好きになり、やりがいを感じ、日本の患者さんの役に立ちたいと思いながら、在留期限や個人の事情でアメリカに渡り看護師になろうと勉強しています。これから彼女は日米を移動しながらどんな看護師に成長していくのか、楽しみです。

ベトナム自然人の移動小委員会に参加・於:ベトナム商工省 26,Nov

9月に引き続き、11月26日にハノイで日越PA看護師・介護福祉士に関するスキーム構築会議に出席しました。今回はAHPから4名が参加し、商工省会議室での長時間に及ぶミーティングは、実施に係る具体的な話題が多くでました。
田中さん(病院事務長)、剣持さん(介護教育)、日本で看護師資格を取得したマイさんと、AHPは実務者たちで構成し、ベトナム側の疑問に応える型をとりました。
出発の25日朝、成田発ハノイの直行便機内でもらった日経新聞を開くと「外国人受入れの展望と課題」と題した日本国際フォーラムの政策提言が載っており、TPPを構想するかのような内容でした。また29日には坂中英徳氏(移民政策研究所)がドバイで国際経済フォーラム(ダボス会議)における移民問題に日本人として初めて参加し、日本の受け入れ方について話されるそうです。
商工省をはじめとする委員会メンバーに、日本国内の最近の動きがこれまでとは違い、労働力の移動だけでないもっと大きな構想を描いていることから、人材育成と職業教育がますます重要性を帯び、それが両国の関係をさらに深めるものとなるように努力してきたいとお話しました。

青山学院大学+北里大学主催シンポジウム「外国人看護師、今後の展望」

秋晴れの9月26日に青山学院大学でシンポが開かれました。
研究者グループは、このテーマでは外せない安里さん、日本と韓国の外国人問題とくればやはりソン・ウンソクさん、日系人に詳しく外国人労働問題を語る丹野さん。現場グループは、日本病院会副会長として医療問題と外国人人材に詳しいドクター梶原、初のEPAフィリピン人看護師が誕生した足利日赤病院の小松本院長、そして私。
さらに、今回のゲストピーカーとして、看護師のエヴァーさん。日本語をほとんど知らずに昨年5月に来日し、今年の国家試験に見事合格!! その努力のほどを話してくださいました。詳しくは6月の当プログをご覧ください。

会場には日本語教育関係者は少なく、異文化教育を専門とする方々が多く見受けられました。
それぞれ各自の専門から問題を探り、解決を提示する白熱の4時間30分でありました。

ベトナム・ダナン医療技術短大日本語クラス

昨年からベトナム医療省と準備を進めてきた日本語クラスが開講しました。9月6日に開講式を行い、さっそく7日から授業開始です。午前は既卒者のためのコース、夕方からは現役3年生対象のコースです。これから1年間日本語を毎日学び、N3(準2級)をめざします。それから日本の介護福祉士の勉強をします。介護に必要な基本理念と倫理、実技など300時間を設定しています。日本語教育には日本からベテラン教師を派遣しました。来年の介護専門教育には岐阜から(社福)千寿会のメンバーが担当します。
ダナン医療技術短大は設備・スタッフともに充実しており、長年にわたりベトナム中部の医療技術者を輩出してきた専門教育機関です。来年には大学に昇格する予定です。
この日本語クラスは、学校にとっても、我々にとってもターニングポイントとなるでしょう。またそうなるよう、がんばっていきたいと思います。

ベトナム側EPA自然人の移動小委員会に参加


9月10日、ベトナムハノイの商工省で、EPA・自然人の移動小委員会に参加し、看護師・介護福祉士に関する傾向と対策に、口角泡を飛ばす、と言ってはオーバーですが、ほんとに熱の入った議論をしてきました。日本と交渉するこの委員会は他に医療省と労働省が加わり三省の混成チームです。ベトナムの官僚は気さくな方が多く、冗談を交えながら本音を言い合う議論が長時間続きました。
来日しているインドネシアやフィリピンの現状や中途帰国者の理由、受入れ側のサポート、そして「どうして3人しか受からないのか」という、日本でも良く聞かれる質問もありました。
会議が終わってからも担当者から携帯に電話が入り、確認作業。帰国前日も時間をとって1to1の議論。
たくさんのお土産を抱えて帰国し、さっそくPCに向かって文書作成やら資料送付をし、今後も後方支援に徹しようと思います。
晩秋か初冬には第二回の交渉がハノイで開催されます。どのような提案がベトナム側から出てくるのでしょうか。

安倍元総理とベトナム人看護師たちとの対話


夏真っ盛りの夕刻、千葉袖ケ浦の台地から見る夕陽はほんとうに綺麗でした。
9月4日、安倍元総理がベトナム人看護師たちとの対話が行われました。
インドネシアEPAの調印、APECハノイのときの首相として、外国人看護師にもベトナムにも関心をもたれ、一人でも多くの合格者をと願っておられました。そこで、まず日本語教育について、「来日前に日本語を学ぶのと日本に来てから学ぶのとではどちらがいいですか?」。 これに対して『もちろん日本に来る前に学ぶのがいいです。もしどこか海外に行きたいと思ったらまずその国の言葉を勉強するでしょう。EPAの人たちは可哀そうです。日本に来たときにまったく言葉が通じなくて、どうやって日本人とコミュニケーションとるのでしょうか。それだけでもストレスです』 「いま、一番関心あるのは何ですか」。 『ビザです。私たちは国家資格をとっても7年間しか働けません。ITの人たちはそんなことないのに、どうして看護師は続けてはいけないのですか?』  他に、看護の勉強、仕事の楽しさやつらさ、日本に住んでどうですか、など。言葉のやり取りがスムースで的確な反応が返ってくることに、「みなさんのような方々に、もっと日本に来てもらいたいですね」、と。
言葉の壁を越えたのに・・・外国人看護師7年の壁、もうすぐ取り払われる事を願いつつ。 

ガル・サポ主催の討論会7/3 参加報告

7月3日のガルータサポーターズ車座討論会でこんな提案をしました。

EPAのプログラムでいえば、「来日した候補生が主役である」という認識に立ち、常にここから発想することが大事。
EPA参加者の目的は、各自にいろいろありますでしょう。が、受入れ側の目的は看護師・介護福祉士国家資格をとって、自分の病院・施設で 長く働いてもらうことにある。
EPA人の移動は、
①雇用主にとっては、マンパワーを育てること 
   ②同僚にとっては、スキルを身につけ、お互いに良き助け人となること
  ③地域にとっては、良き隣人との出会い・人間関係
  ④社会にとっては、多文化社会における日本に住む同国人の医療・福祉サポーターとなる
たとえシステムにどのような不足があろうとも、我々は我々にとっての目的達成するには、どうしたらいいのかを考えたい。

1,国家試験をとらなければ始まらない、のであれば、
①本人に、その努力をするだけの能力があるかどうか、見極めること  
→ 試験なのだから、学力がなければ受からない
→限られた時間内で勉強するには入国前に本人が持っている看護基礎学力が不可欠
②受験対策としては丸暗記も必要である・・・記憶力
③本人のやる気・・・本人の資質
④院内や施設内スタッフが自分の問題として捉えているか
などを、チェックしてみる必要がある。

2,日本語教育支援と国家試験対策を今後もどんどんすべきでしょう。
そして他に、看護師修練制度の活用と准看護師資格の活用を考える。
内外人平等の観点から、日本人に認められた資格を外国人に認めるのは当然の議論としてあること。『医療』の在留資格に認められていることから、EPA看護師候補生にも『准看護師資格』を正当に扱うべきであると話しました。もちろん反対意見はありますが、感情論でなくきっちりと議論すべきテーマであると思います。同時に『准介護福祉士資格』がどう策定されていくのか、これも取り込んでいくアイディアが必要でしょう。